閔哀王陵 みんあいおうりょう

閔哀王陵
みんあいおうりょう
Minaewang-neung

韓国・慶尚北道慶州郡内南面望星1里にあって、統一新羅時代に当たる、新羅第44代閔哀王の陵と伝えられてきた墳墓。慶州盆地西南方の丘陵地の標高約120mの南斜面に立地する。平面円形、直径約13.5mを測る墳丘の裾には、寺院建築における壇上積基壇のような化粧石と、そこに斜めに寄せかけた支柱石からなる護石がめぐる。整備工事に伴って、国立慶州博物館が1984年に発掘調査した。その結果、護石の外側に沿って小穴群が見つかり、そのうち4ヵ所で子・丑・酉・亥の四つの滑石製獣頭人身像が遺存した。いずれも高さ10㎝内外の小像である。また、墳丘の西南方に護石から4m以内のところで、火葬墓も検出された。蔵骨器として用いられた有蓋壺の表面には、唐の憲宗代の年号である「元和十年」(815)銘が刻まれていて、この墳墓の下限年代を示すとともに、護石構造から見て、上限は8世紀後半と推定されている。そうなると、『三国史記』が記す閔哀王2年(839)の薨去年と合わず、この墳墓は閔哀王陵ではなくなることになる。

(西谷正)

以上、転載