龍谷人 りゅうこくじん

龍谷人
りゅうこくじん
Lyonggok-in

北朝鮮・ピョンヤン特別市の東南、祥原郡龍谷里に所在する龍谷第1号洞窟遺跡から出土した旧石器時代の化石人骨。遺跡は文浦川に面し、コムンモル遺跡の南約5㎞の所にある石灰岩洞窟である。龍谷第1号洞窟遺跡の発掘調査は、金日成綜合大学の人類進化発展史研究チームによって1980・81年に行われた。洞窟内は13の地層(総長21.05m)に分けられ、五つの文化層がある。下から8〜12層が第1〜5文化層に相当する。そのうち第1〜4文化層が旧石器時代層で、最下層(第1文化層)、中層(第2文化層)、上層(第3〜4文化層)に区分されており、人骨に伴って旧石器・動物化石などが出土した。焚き火の跡(2〜4文化層)が確認されていることも重要である。

旧石器時代層から出土した複数の人類化石を龍谷人類型と呼んでいる。とくに7号頭骨(第2文化層出土)と3号頭骨(第3文化層出土)はほぼ完全で保存がよく、長頭形で眼窩上隆起、上顎の突出や湾曲のぐあい、顴骨・歯牙などに特徴がみられ、脳容量はそれぞれ約1450m㎥、1650m㎥と推定されている。当初の報告(1986)では、龍谷人は原人段階の化石とされていたが、その後、頭骨の計測値などが比較・検討され、第2文化層出土人骨を龍谷人1類型、第3〜4文化層出土人骨を龍谷人2類型として分け、前者は新人(Homo sapiens sapiens)の早い段階、後者を比較的遅い段階の新人とした。また報告では8・9層で採取された石筍を熱ルミネッセンス法で測定して40〜50万年という年代を提示したが、動物化石を分担した金クンシクは、その後の論文(1991)で、第1号洞窟遺跡の年代を後期更新世に下げた。花粉・胞子の分析では、中期更新世〜後期更新世と報告されている。張宇鎮も化石人骨を新人とし、北朝鮮側の文献でも新人段階に置くものが多い。

(中山清隆)

以上、転載