水村里遺跡 すいそんりいせき

水村里遺跡
すいそんりいせき
Suchon-ri-yujeok

韓国・忠清南道公州市儀堂面水村里にある無文土器(青銅器)時代から李朝(朝鮮)時代にまたがる遺跡群。農工団地造成に伴って、忠南発展研究院付設忠南歴史文化研究所が2003年に発掘調査した。遺跡は、錦江の支流である正安川左岸域に面した、丘陵地の谷間をはさんで南北に立地する。北側のⅠ地点では、無文土器時代の竪穴住居跡1 軒、土壙墓1基、三国時代百済と統一新羅時代の石室墓12基、百済時代と高麗・李朝時代の土壙墓5基が発見された。そのうち特に注目されるのは無文土器時代の1号土壙墓で、無文土器長頸壺・粘土紐貼付二重口縁甕のセットと、細形銅剣・銅矛、銅鑿、銅斧、銅鉋各1点が共伴したことである。Ⅰ地点の南西約160mの所に当たるⅡ地点では、百済時代の木槨墳2基と竪穴式・横口式・横穴式石室墳4基が発見された。そのうち1号木槨墳・3号横口式石室墳と4号横穴式石室墳からは豊富な遺物を出土して注目される。すなわち、金銅製冠帽2点・飾履3対・銙帯1点などの装身具、鉄製環頭大刀3点・矛1点などの武器、鉄製鐙・轡各1対などの馬具、各種の土器多数のほか、中国製の黒釉陶器3点・青磁2点が出土した。中国製の陶磁器はいずれも南朝の製品で、百済と南朝の交流を物語る貴重な資料といえる。

ちなみに、水村里遺跡の南方約1.5㎞地点には、統一新羅時代後期の水村里土城があり、1996年に国立公州博物館によって学術調査が行われた。その結果、長さ約400mにわたって版築されたと推定される土塁や東端部に設けられた石築の雉が検出されている。

(西谷正)

以上、転載

 

*辞典解説文より漢字ピックアップ


サク、うが(つ)、のみ