青馬山城跡 せいばさんじょうあと

青馬山城跡
せいばさんじょうあと
Cheongmasanseong-ji

韓国・忠清南道扶余邑龍井里、陵山里にまたがる山地(標高225m)に築かれた典型的な包谷式山城。外郭線の周長は9.277㎞に及び、百済の泗沘都城時代に築造された山城では最大級の規模を持つ。よく知られた城跡であるが発掘調査は行われていない。2005・06年に韓国伝統文化学校によって地表調査が行われた。その結果、門跡10ヵ所、雉32ヵ所、排水溝17ヵ所、将台跡5ヵ所、堡塁2ヵ所などの遺構が確認された。青葉山城の築城目的については、扶余羅城と一体の山城、百済末期の最後の防衛手段など諸説あるが、築城時期すら明らかになっていない。外郭線は大部分崩壊しているが、南半分は石塁がめぐり、一部に長方形石材を布積みした外壁が残っている。石塁幅3〜4m、高さ5〜6mを測る。石塁のコーナー部では石材が堆積し、雉・角楼的施設が想定される。吐水口下部を突出させる水口も確認されている。城域の北半分は土塁状となり、南側のみ石築であったと見られる。その理由として論山方面への街道や陵山里古墳群との関係が考えられる。西北の付属城も石築であるが、使用石材が若干異なっており、築造時期・機能など検討課題である。

(向井一雄)

以上、転載