竹幕洞祭祀遺跡 ちくまくどうさいしいせき

竹幕洞祭祀遺跡
ちくまくどうさいしいせき
Jungmak-dong-jesa yujeok

韓国・全羅北道扶安郡辺山面格浦里竹幕洞山35-17番地にある韓国で初めて確認された祭祀遺跡。黄海に大きく突き出した辺山半島先端部の南側絶壁上にある水聖堂の周辺で、1992年に国立全州博物館によって発掘された。西側には、波の強い時には潮が吹き上がり、龍神が住むと伝わる細長い谷状の天然の割れ目(洞窟)があることも、三国時代以来、ここで海の祭祀が行われてきた大きな要因であろう。水聖堂の北側、割れ目寄りの8×9㎡の範囲から、三国時代の遺物が大量に出土したが、明確な遺構は認められない。甕・各種壺類・坏・坏蓋・高坏・筒形器台・鉢形器台・坏付瓶・把手付カップなどの土器や、矛26・鏃6・剣4・刀3?・斧3・刀子・鎌などの鉄器のほか、鉄鋌・挂甲・馬具1式(金銅製亀甲繋文透彫鞍橋金具片・鉄製剣菱形杏葉2・鉄地金銅板張心葉形杏葉2・銅鈴・馬鐸・絞具)、銅鏡2、中国六朝時代の青磁壺破片、土製模造品(馬形5頭分・人形1)、翡翠勾玉、および大量の石製模造品(鏡形2・有孔円盤〔鏡模倣品〕141・剣形34・勾玉7・鐸形2・短甲形1・斧形1・鎌形1)が出土した。石製模造品の多くは倭製と見られるが、割れ目に近い西南よりの2ヵ所と北部1ヵ所に集中していた。

初めは土器のみの露天祭祀であったが、5世紀初めに倭的な石製模造品が祭祀に使われ、5世紀中頃〜6世紀前半は王陵から出土するような中国青磁や豪華な馬具(杏葉は倭的)と種々の金属遺物を、甕などの大型土器に入れるか上に置くような祭祀が行われた。土器の中には加耶的要素が見られる。6世紀以降は在地の各種の供献容器が中心となる。朝鮮半島西海岸は泥土の堆積が激しいが、辺山半島突端部には堆積がなく、遺跡の南側は船泊りに絶好の地形であり、それが倭や加耶と関連する遺物が多く出土する要因であろう。石製模造品を使った祭祀は倭人が関わって行われた可能性が高く、倭の海上活動が広範囲に及んでいたことを示す遺跡としても注目される。

(中村潤子)

以上、転載