国内城 こくないじょう

国内城
こくないじょう
Guonei-cheng
Guknae-seong

中国・吉林省集安市に所在する三国時代高句麗中期の都城。鴨緑江とその支流の通溝河の合流地点の河岸段丘上に築城されている。1975〜77年に試掘、80年に測量、2000〜03年に発掘調査がなされた。城壁は石築で、東西に長い長方形を呈する。周長2739m、北壁は730m、南壁は752m、東壁は555m、西壁は702mを測る。雉(馬面)は東北角の北壁と東壁に1ヵ所ずつ設け、そのほか北壁に4ヵ所、西壁で2ヵ所が遺存する。西南隅で角楼、北壁で西門、西壁外で排水施設が新たに見つかった。城内の各所で建物・石敷遺構や包含層が確認され、国内城の宮殿関連の施設が城内の中心部に存在することが明らかとなった。土器・青磁・瓦などが大量に出土している。集安市第2小学地点で戊戌年(338)銘の巻雲文瓦が出土した。巻雲文瓦は体育場・蔬菜商場・鴨緑江浴池・勝利二隊・禹山3319号墓・西大墓・禹山992号墓などに分布する。

現在、団結路・勝利路と呼ばれる東西道路、北門・南門に通じる朝陽街は、高句麗以来の街路と見られる。城壁は、方形ないし長方形石材を内側に段状に積み上げる逓減式積築法で造られる。高句麗の特徴的な石積み技法で、各城壁に遺存する。城壁は後代に修築され、1940年に刊行された『通溝』には、高大な城壁・楼門の写真が掲載されている。東・北城壁の外辺に濠があり、西・南の城壁外の濠は自然の河川を利用する。1975年の城壁の断ち割り調査によると下層の土城は漢代の玄菟郡高句麗県の時期のものと推定される。国内城の東約500mで、オンドル施設のある建物跡などが発掘された。方起東は、『三国史記』高句麗本紀の故国壤王9年(392)に見える「国社」に比定する。3世紀のころ、国内城は桓仁地域とともに高句麗の中心地で、4世紀には国都であった。

(東潮)

以上、転載