馬具 ばぐ
馬具
ばぐ
馬につける装具の総称。車馬を挽くための馬に用いられる車馬具と、騎馬に用いられるそれ以外の馬具とに大別される。車馬具では中国で秦の始皇帝陵出土のものがよく知られるが、その概要は殷・周時代には既に成立していた。馬具には馬の制御のための装具である轡(および面繋)、騎乗者の安定を確保するための鞍および鐙、装飾的な装具である杏葉・馬鐸、それらを留める金具である雲珠・辻金具、馬を防護するための馬冑や馬甲などがある。世界最古の馬具は黒海沿岸で発見されたBC2000年紀の骨製棒状鏡板といわれているが、BC1000年紀に至って、騎馬の風習はユーラシア大陸全体に広がったと考えられる。東アジアでは、中国・遼寧省の袁台子石室壁画墓(4世紀)から板状鏡板付轡・花弁形杏葉・金属製輪鐙がセットで出土しており、既にこの段階から後に朝鮮半島を経由して、日本列島にもたらされる馬装の原型ができあがっていたことがうかがわれる。
東アジアの馬具は、五胡十六国時代(304〜439年)のうちの鮮卑族の諸王朝において次第に変容を遂げる。特に中国・遼寧省北票県喇嘛洞出土の亀甲文透の金銅装鞍には、日本の大阪府誉田丸山古墳出土金銅装鞍と共通する意匠が認められ、日本の騎馬文化の源流が遠く騎馬民族の鮮卑までさかのぼることをうかがわせる。朝鮮半島における馬具は当初、大邱坪里洞出土品や蔚山下岱43号出土例などのような板状のS字形鏡板付轡として近い形で導入されるが、それと並行して東莱福泉洞38号出土例に見られるような棒状で金属製の立聞部を作りつける型式も採用されるようになっていく。その後、鉄板に金メッキした銅板を張り付ける鉄地金銅張技法が創出され、多くの板状鏡板付轡や杏葉類に用いられるようになる。それに伴って、魚尾形杏葉やf字形鏡板付轡といった新型式の馬具類も導入された。
このような騎馬文化は、日本列島には4世紀末から5世紀前半にかけてもたらされた可能性が強い。福岡市老司古墳3号石室出土の釵子状金具は馬具ではなく、刀の吊金具と考えられるが、それと前後して、兵庫県行者塚古墳出土の方形鏡板付轡や楕円形鏡板付轡に代表されるような形で、金属製の馬具類が招来されたものと考えられる。また、奈良県箸墓古墳周溝出土の木製輪鐙の評価いかんによっては、騎馬文化の到来が4世紀の早い段階までさかのぼる可能性もある。これらの馬具類は6世紀に至って本格的に列島内で生産されるようになり、大量の鉄製環状鏡板付轡や、鉄地金銅張の複雑な意匠に富んだ板状鏡板付轡や杏葉類、それらを留める多彩な雲珠・辻金具を生み出すことになる。
(宮代栄一)
以上、転載
*辞典解説文より漢字ピックアップ
轡
くつわ
面繋
おもがい
鐙
あぶみ
輪鐙
わあぶみ
杏葉
ぎょうよう
馬鐸
ばたく
雲珠
うず
馬冑
ばちゅう
馬甲
ばこう
