将棋 しょうぎ
将棋
しょうぎ
将棋は、玉・金・銀・肉桂・沈香・歩(土地)などの宝物と、将・馬・車・兵などの戦概念を結びつけた日本独特のものとして成立した。将棋の伝来経路やその時期については不明である。2001年(平成13)現在、81遺跡で395枚の駒が出土しているが、盤や箱の出土はない。奈良市興福寺旧境内から天喜6年(1058)銘の題箋軸と共伴した15枚の駒は、長方形に近い五角形の薄い板で最古の例であるが、また習書木簡に酔象駒が見られることから、今後より古い駒の出土が期待される。その後、王将や麒麟・鳳凰・飛車・角行・仲人・猛豹・盲虎など2文字熟語の駒も加わった中将棋が公家の間で流行した。福井市一乗谷朝倉氏遺跡出土の185枚の駒には、彫り駒や黒漆書駒も見られ、駒の形態も新しくなるにつれて圭頭部が顕著に尖る。そして尻幅が広がり、尻厚も大きくなっている。なお、遺跡からは将棋・中将棋以外の駒種は出土していないことから、大将棋をはじめ文献に多くみられる各種将棋は、机上で創作されたもので普及しなかったと考えられる。
(水野和雄)
以上、転載
