墨壺 すみつぼ
墨壺
すみつぼ
木造・石造を問わず、一定の建築物を企画・建設する際には、当初から計画図面を用意し、また建築材料に線引きをする必要がある。中国では現在のところ、墨壺の出土例は知られていないが、年代のわかる壁画に描かれた資料がある。敦煌莫高窟第285窟内の墨書銘文に「大代大魏大統4年(538)」の年号があり西魏時代の開窟である。天上東面に中国神話の伝統的な題材の一つ、伏義と女媧図が描かれている。両者相対して、伏義は手に規(定規・曲尺)を持ち、片手に墨壺を持つ。垂直に糸線を描いた下に描かれた円筒状のものが墨壺である。朝鮮半島においては、全羅北道益山の弥勒寺跡より8世紀と見られる墨壺が出土している。頭部に墨池があり、後部が二股に分かれ、ここに糸車をかける割尻型墨壺で、日本の各地で8世紀以降に出土するものと同型式であり、仏教伝来に伴う墨壺の源流を示している。
墨壺に関する伝承は、『日本書紀』雄略天皇13年条に「あたらしき 葦名部の工匠 懸けし墨縄 其が無くば 誰が懸けむよ あたら墨縄」とあり、王朝に直属して建築に従事する工人集団の存在を示している。『和漢三才図絵』巻24・百工具に、墨壺と墨打ちをする用具の墨芯が記載されている。墨縄・墨斗とあり、和名は須美奈波、墨芯は䈜・●(竹カンムリ・木ヘン・心)、和名は須美差之である。材料としてはクワが最適で、次はケヤキと記載している。平城宮をはじめ日本各地で出土する8〜16世紀の墨壺は、伝東大寺南大門発見隅壺のように頭部に墨池があり、後部に糸車を取り付ける割尻型墨壺である。奈良の正倉院には、銀平脱龍船墨壺(全長29.7㎝、8世紀)があり、唐尺1尺の基準数値に近く、龍首と船形の胴部で構成される。寄木造りで底部後方に金属板を入れ、布下地を貼ったあとに黒漆を塗り、龍首と船形上方に銀平脱で文様を施している。船体内部は空洞で糸車などが取り付けられた形跡もなく、墨壺とするには疑問が残る。また、正倉院には紫銀絵小墨壺しか見られなかった墨壺も、多様な美しい形態を持つものが作り出されてゆく。その形態は動物・野菜・果実・魚・楽器・打出の小槌をはじめ何百種にも及ぶ。一方、割尻型墨壺は釿始めの儀式などに使用される儀器にその形態を残していった。
(神谷正弘)
以上、転載
*辞典解説文より漢字ピックアップ
䈜
シン
