碾磑 てんがい
碾磑
てんがい
水力利用の脱穀製粉用の石臼のことで、「みずうす」とも訓じられる。ただ動力源、稼動装置また用途は不明な点もあるが、古代の有力寺院に備えられた大型の石臼を「てんがい」と称することが多い。『日本書紀』推古18年(610)条に、高句麗僧の曇徴が紙・墨とともに「碾磑」を造ったとする記事が見える。『法隆寺伽藍縁起并流記資財帳』や『大安寺伽藍縁起并流記資財帳』に「碓屋」、『東大寺要録』に「碓殿」の記述がある。また、京都市東山区の東福寺の開山、聖一国師が浙江省明州の碧山寺から招来したという『大宋諸山之図』には、石臼の稼動の仕組みを示した図が含まれている。実物資料には福岡県太宰府市観世音寺に伝世品が、また奈良市の東大寺食堂院北方からは発掘調査による出土品がある。いずれも直径約1mの大型品である。東大寺出土品は流紋岩製で奈良時代の瓦類とともに、鎌倉時代の井戸側用材に転用されていたものであるが、前述の「碓殿」に備え付けの石臼の一つであった可能性が高い。
(今尾文昭)
以上、転載
