土偶 どぐう

土偶
どぐう

一般に、縄文時代の遺跡から出土する素焼きの女性像を指す。縄文時代の土偶の起源は、後期旧石器時代の骨・角・牙・石などを材料にして作った女性像の伝統を引くものと考えられる。日本最古の土偶は、縄文時代早期の茨城県利根町花輪台貝塚出土の土偶で、頭部と両腕が作られ、胸部に乳房を示す膨らみはあるが、顔面や脚部は省略されている。高さ5㎝未満の小型品である。ほぼ類似したものが福島・茨城・愛知県などの早期の遺跡から出土している。前期の土偶は東北・関東地方に出土するに過ぎない。中期の土偶は、北海道南西部から北東、東関東・新潟県下では板状のものが作られる。長野県地方の勝坂式土器文化圏では立体的に土偶が作られている。乳児を抱いたもの、乳児を背負ったもの、特異な坐像など多様な形は中期土偶の特徴である。約30㎝の大きなものから3㎝程度の小型のものまである。中期土偶は完形品で出土することは極めて少ない。後期以降になると、西日本でも多数の土偶が作られた。熊本県下の後期後半の遺跡から100点を超す土偶が発見されている。後期の関東地方では山形土偶、ミミズク土偶などが多量に作られている。後期末には立膝をして腕を組む珍しい形の土偶が東北地方各地で作られている。晩期以降になると、西日本にもかなりの出土例があり、土偶の分布は全国的になっている。奈良県橿原遺跡から晩期の土偶が多数出土している。東北地方では晩期に入ると、目を誇張した遮光器と呼ばれる空洞の大型土偶が作られた。全体に赤色顔料を塗布したものもある。これらの土偶のほとんどのものに陰部が刻まれている。女性が子供を産むという神秘的な創造力から女性の神像を作り、食料の豊産、疫病治癒などを祈ったと考える説がある。

(中村修身)

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