渼沙洞遺跡 みさどういせき

渼沙洞遺跡
みさどういせき
Misa-dong-yujeok

韓国・京畿道河南市渼沙洞に所在する、櫛目文土器(新石器)時代から高麗時代にかけての集落遺跡。遺跡は漢江の中流地域に当たり、南北4㎞、東西1.5㎞の中島に立地している。1960年に櫛目文土器時代の遺跡として発見され、87〜92年に崇実大学校・高麗大学校・ソウル大学校・成均館大学校・漢陽大学校・慶熙大学校・建国大学校などによって発掘調査が行われた。まず、櫛目文土器時代の遺構は竪穴住居跡1軒、貯蔵穴1基、炉跡29基であり、このうち大多数を占める炉跡は、川原石を利用した小型野外炉である。出土遺物は、櫛目文土器時代中期以降の櫛目文土器が主体を占める。無文土器(青銅器)時代の遺構は竪穴住居跡38軒、貯蔵穴34基、高床式住居跡1軒、溝1条、柵列1条などである。竪穴住居跡には平面形が方形と長方形のものが見られ、いずれも内部に炉を持つ。出土遺物は、孔列文土器や刻目突帯文土器などの土器類、打製石斧・石鑿・半月形石包丁・石棒・石錘・紡錘車・石鏃などの石器類が見られる。

原三国(三韓)時代の遺構は、竪穴住居跡22軒、貯蔵穴38基、高床住居跡28軒、溝17条、炉跡11基などである。竪穴住居跡は円形・方形・呂字形・凸字形を呈するものがあり、壁面には竃を付設するものが見られる。出土遺物には、赤褐色軟質甕・灰色軟質壺・小型仿製鏡・鉄鏃・鉄刀子・砥石・魚網錘・ガラス玉鋳型などが見られる。三国時代百済の遺構は、竪穴住居跡21軒、高床住居跡15軒、貯蔵穴76基、溝23条、甕棺墓3基、鉄器製作関連遺構8基、畑跡などである。竪穴住居跡には平面形が方形・長方形・楕円形・六角形を呈するものが見られ、壁面には竃が付設されている。これらの中には出入口を設けるものも見られる。鉄器製作関連遺構は密集して検出され、いずれも溝状あるいは土壙状を呈している。遺構内からは、鉄器片・炉壁片・鉄滓・鍛造剥片などが出土した。畑跡は韓国で初めての発見例である。上下2層で確認され、範囲は東西60m、南北160m、面積9900㎡に及ぶ。

(高久健二)

以上、転載

 

*mapは河南市渼沙洞