清堂洞遺跡 せいどうどういせき

清堂洞遺跡
せいどうどういせき
Cheongdang-dong-yujeok

韓国・忠清南道天安市清堂洞の舌状台地上に所在する複合遺跡。1990〜94年に国立中央博物館によって、無文土器(青銅器)時代の住居跡や、原三国(馬韓)時代の墳墓が調査された。原三国時代の墳墓は25基であり、墓壙外の斜面上部に馬蹄形の周溝がめぐる。埋葬主体部は木棺墓が22基、木槨墓が3基であり前者が主体を占める。16号木棺墓は墓壙(3.53×1.21m)内に木棺を埋葬しているが、北西側小口板は木棺幅よりも広くなっており、墓壙北西側に副葬空間を設けている。青銅製馬形帯鈎・鍛造鉄斧・短頸壺・鉢形土器が副葬されていたが、馬形帯鈎は5・7・9号墓でも出土しており、総数は18点にのぼる。

22号木槨墓は、墓壙(5.02×2.37m)の東側に主槨を、西側に副槨を設け、主槨内部に木棺を埋葬していた。木棺内部に瑪瑙玉・環頭大刀・鉄刀子が、主槨内に鉢形土器・鉄矛・鉄鏃・鉄鑿・鍛造鉄斧・円筒形鉄器が、副槨には短頸壺・有孔円筒形土器・漆器などが副葬されていた。また、20号墓の青銅製曲棒形帯鈎や、2・5・14号墓の金層ガラス玉は、楽浪郡との交渉を示す遺物として注目される。AD2世紀後半〜3世紀後葉に造営された墳墓群と推定されている。

(高久健二)

以上、転載

 

*mapは天安市清堂洞