王盱墓 おうくぼ

王盱墓
おうくぼ
Wang U-myo
Wan Hsu-mu

北朝鮮・ピョンヤン特別市楽浪区域土城洞(旧・平安南道大同郡大同江面石巌里)に所在する楽浪郡時代の木槨墳。「石巌里205号墳」ともいう。1925年(大正14)に東京帝国大学文学部主宰のもと、朝鮮総督府古蹟調査委員会によって発掘調査された。墳丘は一辺18m、高さ1.5mの方台形を呈し、墳丘下に竪穴式木槨を構築する。木槨は主槨(270×180㎝)と側槨(240×90㎝)からなり、主槨はさらに北槨と南槨に分けられている。南槨には内槨を設け、内部に3棺が埋葬され、側槨にも1棺が置かれていた。なお、木槨床板に残る枘穴の状況などから、木槨は数回にわたり改築されたことが確認された。木棺内にはいずれも装身具類が副葬されていたが、主槨内の中棺からは両面木印とともに漆冠が出土していることから、被葬者は男性で、木印の銘文から楽浪郡五官掾の官職にあった王盱であることが明らかとなった。主槨北側には土器・漆器・鉄製長剣・銅鏡などが、側槨北側にも銅鏡と多数の漆器が収められていた。とくに漆器には「建武廿一年(AD45)広漢郡工官造」「建武廿八年(AD52)蜀郡西工造」「永平十二年(AD69)蜀郡西工」などの紀年銘漆器があり、築造時期はAD1世紀後葉〜2世紀前葉頃と推定される。

(高久健二)

以上、転載