可楽洞古墳群 からくどうこふんぐん
可楽洞古墳群
からくどうこふんぐん
Garak-dong-gobungun
韓国・ソウル特別市松坡区可楽洞に所在する三国時代の古墳群。市街地化に伴う土取りに先立ち、1969年に高麗大学校博物館、75年に蚕室地区遺跡発掘調査団が発掘した。可楽洞1・2号墳は、墳丘表面に川原石や割石が葺かれた方台形の封土墳である。墳丘内からは、甕棺や木棺が複数発見された。可楽洞3〜6号墳は、径10m〜18mの円形墳丘を持つ横穴式石室墳である。3号墳の横穴式石室は、南北長3.7m、東西長3.65mの正方形玄室の南側に、東側に偏って長2.9m、幅1.3mの羨道がつく。天井部は崩壊しているが、穹窿状天井であったと推測される。玄室と羨道の壁面には石灰が塗られた痕跡が残る。玄室床面には礫を敷き、奥壁側に2体、羨道側に1体分の人骨が出土した。出土遺物としては、有蓋高坏2・高坏蓋2・瓶形土器1・棺釘5がある。4号墳の横穴式石室は、南北長2.3m、東西長2.6mの玄室の東南隅に羨道がつく。出土遺物は土器片のみである。5号墳の横穴式石室は、南北長2.8m、東西長2.25m、高1.7mの玄室の南壁中央に長1.8mの羨道がつく。四壁は割石を用いて内傾させながら積み上げ、5枚の天井石を載せる。床面は側壁に沿って板石を並べ、その上に礫を敷く。金銅製環4・鉄刀片・瓦片・土器片が出土した。6号墳は、径10.5mにめぐらされた護石列の中に東西2.23m、南北1.9mの石室の基底部だけが残っていた。出土遺物は土器片のみである。
可楽洞1・2号墳は、漢城期百済の封土墳の構造を知りうる数少ない例である。3〜6号墳の横穴式石室も、漢城期百済のものと考えられてきたが、最近の韓国考古学界では、出土遺物などから、6世紀後半以降の新羅古墳とする説が有力である。
(吉井秀夫)
以上、転載
*mapはソウル特別市松坡区可楽洞
