軍守里廃寺跡 ぐんしゅりはいじあと
軍守里廃寺跡
ぐんしゅりはいじあと
Gunsu-ri-pyesaji
韓国・忠清南道扶余郡扶余邑軍守里にある三国時代百済後期の寺院跡。1935・36年(昭和10・11)に朝鮮古蹟研究会が発掘調査した。西方に錦江(白馬江)がめぐり、東に沼地を望む微高地において中央・北方・南方・東北・西北などの各所で基壇などの建築遺構が検出された。そのうち、南方の方形基壇の中央より金銅仏像・石仏像が出土し、さらに地下約2mの所で、造出しのある大型の礎石が検出されて、そこが塔跡であることがわかった。中央基壇を金堂、北方基壇を講堂と考えると、それらの建物が南北の一直線上に配置され、さらにそれらを囲んで回廊がめぐる、一塔一金堂式(四天王寺式)伽藍であることになる。しかも大阪市の四天王寺と奈良県の山田寺に、堂塔の配置や規模が近似することも注目されている。出土遺物には仏像のほか、光背・金環・玉類・鉄釘・土器・瓦塼などがある。6世紀後半の創建と推測される。なお、2005年には整備・復元計画を立てるための再発掘調査が国立扶余文化財研究所によって行われた。
(西谷正)
以上、転載
