砂宅智積碑 さたくちせきひ

砂宅智積碑
さたくちせきひ
Sataekjijeok-bi

韓国・忠清南道扶余郡扶余邑の扶蘇山城南門近くの斜面部で、戦前に扶余神宮を造営しようとして集められた石材の中にあったものが1948年発見された。「甲寅年正月九日奈●(礻に氏)城砂宅智積、慷身日之易往慨軆月之難還穿金、以建珎堂鑿玉以立寶塔巍巍慈容、吐神光以送雲峩峩悲貇合聖明以、・・・・・」という銘文が高さ109.0㎝、残存幅約33㎝、厚さ約29.5㎝の方柱状に加工された花崗岩に書かれている。砂宅智積は『日本書紀』皇極天皇元年(642)2月条や同年7月条に見られる大佐平智積と同一人物と思われ、この甲寅年は654年と考えられている。砂宅氏は「沙宅」「沙咤」とも表現され、百済大姓八族の中の沙氏に当たる。この碑文中の「奈●(礻に氏)城」、また造営された寺院についてはよくわかっていない。ただ、百済の有力貴族が7世紀中葉に金堂や塔を持つ寺院を建立したことがわかる貴重な碑である。

(亀田修一)

以上、転載

 

 

*辞典解説文より漢字ピックアップ


サク、うが(つ)


ホウ、たから


ギ、たか(い)


ガ、けわ(しい)


コン