三角縁神獣鏡 さんかくえんしんじゅうきょう
三角縁神獣鏡
さんかくえんしんじゅうきょう
肉彫りの神像・獣形を主要な鏡背とする神獣鏡の中でも、文字どおり周縁の断面が三角形状に尖っていて、鏡径が20㎝を超える大型品が多く、後漢代の画象鏡や神獣鏡の諸要素を取り入れて創出された規格性の高い一群の鏡である。外区が鋸歯文帯・複線波文帯・鋸歯文帯からなる画一的な文様構成である一方で、内区は4個あるいは6個の乳で分割し、神像と獣形の向きや配置などを替えることにより、また、銘文や文様帯を変化させることによって、多様な文様構成を生み出している。内区の神像・獣形の数によって四神四獣鏡・二神二獣鏡・三神三獣鏡などと呼び分けている。同じ鋳型で製作された銅笵鏡が特に多く、中には同形、同文の鏡が9面にも及ぶ例がある。
以上のような特色は、三角縁神獣鏡が意図的に量産されたことを示唆している。なお、作りの精巧なグループと稚拙なグループがあり、前者が舶載鏡、後者が仿製鏡といわれ、合わせて500面以上が知られているが、多くは日本の古墳などから出土したものであり、中国および朝鮮半島からは出土していない。主に古墳時代の古墳から出土し、その分布は近畿地方を中心に、南九州から東北地方までの広い範囲に及んでいる。とりわけ同笵鏡については、その分布状況をもとに大和を中心とする勢力と、地方権力との交渉過程を復元する説があり、同笵鏡論と呼ばれている。舶載鏡の中には「景初三年(AD239)」や「正始元年(AD240)」という魏の年号を持つ鏡があり、魏・晋と邪馬台国との数次に及ぶ交渉によって入手されたとする魏晋鏡説がある一方で、中国本土や朝鮮半島からは1面も出土していないことを根拠に、呉の工人が日本に渡来して製作したものという説がある。
近年、三角縁神獣鏡の研究には、神獣の表現や配置などを根拠に、工人グループを3派に大別した研究、長方形の鈕孔や外周突線などに着目して、製作地を中国東北部に推定した研究、外区・縁の断面形態や傘松形文様の変化などを根拠に、数段階の型式変遷を推定した研究などがある。
(藤丸詔八郎)
以上、転載
