粟 あわ
粟
あわ
イネ科エノコログサ属(Setaria)。一年草の穀類でモチ性とウルチ性のものがある。インド原産で古代中国では、殷代以来禾と呼んだ。黄河流域の畑作地帯(黄土地帯)に展開する磁山・裴李崗文化の遺跡で、実際に食用の穀物として栽培された炭化アワが発見されている。環渤海地域の、華北一帯に古い実例があり、朱乃誠はBC8000年前後に太行山脈の東麓と燕山山脈南麓の平原地帯で、アワが最初に栽培されたと推測する。磁山遺跡では貯蔵穴からアワが出土した。仰韶文化期の半坡遺跡の住居跡内にはアワの貯蔵穴があり、墓に副葬された例や祭祀の供物と思われる例もある。さらに馬家窯、海岱地区の北辛・大汶口・龍山文化の諸遺跡でもアワ粒が出土している。多くの遺跡で石製農具が見られ、アワ作農業の発展とともにブタなどの家畜を伴い、周辺地域に広がった。
黄河以北の新石器時代遺跡からは、アワとキビは報告されているが、ヒエはあまり出土例がない。環渤海地域では平底の連続弧線文土器群の分布地域で、ブタ・イヌなどの家畜を伴った初期の雑穀農耕が展開していた。多くの場合、磨製の石鏟、打製の石鍬、石斧などの土掘具、鞍形磨臼(サドルカーン)や磨棒などの製粉・調理具、石包丁・鎌などの収穫具など石製農具の組み合わせが見られる。遼東半島の郭家村2期層では、籠に入ったままの炭化アワが出土した。東北の西団山文化や南沿海州のクロウノフカ文化にもアワの出土例がある。その後、アワは漢代にはもっとも普遍的に栽培され、華北地域でアワ作農業を主とする早地農法が行われた。アワ倉の明器が漢墓から出土しており、隋唐時代の洛陽含嘉倉では窖の中から黒変したアワが出土した。
朝鮮では櫛目文土器(新石器)時代の智塔里2号住居跡で、石鋤などの石製農具とともに炭化したアワ、またはヒエの穀粒が土器に入ったまま出土した。鳳山・馬山里7号住居跡でも炭化アワが出土している。無文土器(青銅器)時代のピョンヤン・湖南里南京遺跡31号竪穴住居跡からは鞍形磨臼12対と約1升の炭化アワが出土しており、注目される。日本では佐賀県菜畑遺跡で出土した炭化アワ(縄文時代晩期後半と弥生時代前期初頭)が最古の実例で、弥生時代には東日本でもアワ作農業が行われ、北海道の擦文文化でも栽培された。
(中島清隆)
以上、転載
*辞典解説文より漢字ピックアップ
禾
カ、いね、のぎ
鏟
サン
