将軍塚 しょうぐんづか
将軍塚
しょうぐんづか
Changchun-zhong
Janggun-chong
中国・吉林省集安市にある三国時代高句麗の典型的な段築式の方形積石塚。丁寧に調整した花崗岩の石材を使って、7段の方壇をピラミッド式に築き上げたもので、頂上部の周縁に1列の孔があることや瓦の出土から見ると、元は建造物が立っていた可能性もある。最下段は一辺31.7~33.1m、最上段は一辺13.5~13.8m、基底部からの高さ13.07mの規模を有する。最下段の4面には、各3個ずつ合計12個の、長さ3mほどの自然石を無造作に立てかけている。墓室は第3段の上面に床面を置き、最上段の上部とほぼ同じ位置に天井石がくる横穴式石室で、羨道が南西に開口する。玄室の4辺と高さはそれぞれ約5mを測る。玄室床面には、破損した棺座が二つ横たわる。将軍塚の基壇の周辺には、幅4mにわたって地覆石の敷石があり、その外側にさらに、幅30mの範囲で石敷がある。この石敷の北東後方に32mを隔てて、陪塚が数基以上配される。将軍塚から南西方1.6㎞ほど離れたほぼ正中線上に、広開土王陵碑が位置していることや、瓦の型式などを理由に、広開土王陵とする説もある。
(西谷正)
以上、抜粋転載
まさに高句麗のピラミッド。堂々たる姿と一周ぐるりと立てかけられた謎の巨石は、神秘的でもあり、当時の勢いがまだオーラを放っているようでもあり。
それにしても、この地の風景の美しさといったら。目の前の鴨緑江でボーダーが引かれるなど、ここに都を築いた人々には想像もできなかったこと。
