王宮里遺跡 おうきゅうりいせき

王宮里遺跡
おうきゅうりいせき
Wanggung-ri-yujeok

韓国・全羅北道益山市王宮面王宮里に所在する城郭遺跡。南北に長い最高所の標高41.8mの低い丘陵の縁辺部を囲った南北約500m、東西236mの長方形の土城である。
(中略)

詳細はいまだよくわかっていないが、まず7世紀前半の武王代の建物があり、次に木塔・金堂・講堂が南北一直線に並ぶ寺院が建てられ、そしてその木塔がのちに現存する五重石塔に建て替えられたことが確認された。
(中略)

遺物は上記の時代の瓦・土器が多数出土しているが、文字資料としては「大官官寺」「官宮寺」などの寺名を記したものがあり、『三国史記』新羅本紀武烈王8年(661)条の「大官寺」に該当すると考えられている。

(亀田修一)

以上、抜粋転載

 

百済は2回遷都しました。

漢城⇨熊津⇨泗沘。現在のソウル、公州、扶余です。そして泗沘時代の複都としてのここ益山に、王宮里遺跡と弥勒寺跡があります。

2012年にソウルの漢城百済博物館が、2020年に益山の国立益山博物館が開館し、国立公州博物館や扶余博物館、武寧王の展示館などと合わせ、百済の一生を本当に贅沢に見学できるのは幸せです。

百済が歴史的に日本と縁が深いのはもちろん、「飛鳥に似てる」と口にする方が多いように、現地に立つと何か懐かしいような気持ちが湧くのはどういうことなのでしょうね。