案 あん


あん

四脚のついた膳・机で、長方形のものを案という。『説文』に「案、几屬」とあるようにテーブル・机の意味で、食案と書案とがあった。段玉裁は注に載震の説を引き、棜禁の屬とする。天板や脚の有無、形状などによって区別があったらしい。古代中国では案は5〜10㎝くらいの高さの低いものが多く、台として供献用などに用いられた。漢代の画像石をはじめ、画像塼に見られる宴会図や後漢代の緑釉陶にも現れているが、戦国時代中期後半の包山2号楚墓では、青銅礼器と案が出土している。漢墓では案の上に、桮・盤などの器に飲食物を載せた状態で見つかることがある。周末から秦漢代には木製漆塗の案が多く、長沙や朝鮮西北部・楽浪の古墳出土品がよく知られ、雲気文・菱形文・怪獣文などを描いたものがある。副葬用の瓦案・青銅案も造られた。楽浪王盱墓例は低い半球状の足のついたまるい盆状のもので、『説文』にいう「檈」に当たる。長沙馬王堆1号墓から出土した漆の案は「嶡」(脚に横木をわたした形式)に当たるであろう。

福岡市雀居遺跡出土の組合せ式机(弥生時代後期後半、2世紀)は経机に近い形状で、おそらく文書作成用の文机であろう。韓国・昌原茶戸里遺跡(BC1世紀)で筆などの筆記具が出ていることから、倭でも弥生時代後期には、漢字による文書作成が一部で行われていたと見られる。弥生時代の木製案は福岡県を中心に、佐賀県・大分県で出土例があり、当時の指物技術の高さがうかがえる。雀居遺跡例のように天板に刃物傷が残るものがあり、文机もしくは調理用の俎板に転用されたものもあるだろう。鳥取県岩吉遺跡例(5C)では、木製机の天板の左右に板状の脚が付く。京都府古殿遺跡(古墳時代前期)の案は脚部が局足である。平安時代になると、岩手県平泉の螺鈿平塵案(金色堂、経蔵内具)のように螺鈿を施したやや高い机状の案は、高級調度品として最高水準の技術で製作された逸品である。日本では「机」「案」は『記紀』『万葉集』『延喜式』などに見え、葬祭の儀式や饗宴のさい、器物や供物を載せる台として、あるいは調理用として使われたものと考えられる。

(中山清隆)

以上、転載

 

 

*辞典解説文より漢字ピックアップ


ゾク、ショク、つ(く)、やから



ハイ、さかずき


セン、ゼン、シュン


ケイ、ケ、ケツ、カチ