アスターナ(阿斯塔那)墳墓群 あすたーなふんぼぐん
アスターナ(阿斯塔那)墳墓群
あすたーなふんぼぐん
Astana-qumugun
中国・新疆ウィグル自治区トゥルファン市の東南約30㎞の二堡および三堡郷にある、西晋時代から唐代までの墳墓群。1912年に大谷探検隊、15年にイギリスのスタインが調査した。中瑞探検隊の黄文弼も調査している。59年以降、新疆ウィグル自治区博物館が発掘調査を継続しており、今日までに400基近くが調査を終えた。形式は斜めに墓道をつけた土洞墓が多い。墓内から紀年のある文書や墓誌が多数出土している。1966年に53号墓から発掘された西晋の泰始9年(273)の木簡が古い年紀の例、68年に381号墓から発掘された唐の大暦13年(778)の文書が新しい年紀の例であり、墳墓の造営年代を示唆している。
造営の年代は3期に分類される。第1期は西晋が戊己校尉を置いた時期から、北涼が都城とした時期(3〜5世紀末)、第2期は麹氏高昌の時期(6世紀初め〜7世紀半ば)、第3期は唐が西州を置いた時期(7世紀半ば〜8世紀半ば)である。出土品は絵画・染織・陶器・木器・文書など多岐にわたる。壁画遺品としては、第1期にはスタインが発見した4世紀ころの墓室壁画、スタイン編号第6区第3号墓や第2区第1号墓から出土した壁画の画稿とおぼしき紙絵、1964年発掘13号墓の紙本着色の墓主人生活図などがある。墓主の生前の生活風景を描いたものである。第2期以降には、伏羲女媧図が現れる。墓頂に貼ったか、あるいは棺や遺体の被布として用いられたらしい。第3期には、パネル状の枠の中に樹下人物図を表した壁画(1965年発掘第230号墓の舞楽図、第187号墓の囲棋仕女図、第188号墓の侍馬図など)がある。大谷探検隊将来の樹下人物図やスタインが第3区第4号墓で発見した花下遊学図断片も同趣向のものである。ともに8世紀頃の制作である。染織品は、第2期の半ばころまでは平文経錦であったが、6世紀半ば以降には斜文緯錦となり、蓮珠文や猪頭文(1959年発掘325号墓)、鹿文(1960年発掘332号墓)など、ササン朝ペルシャの文様が多く見られる。文書の発見も多く、1967年に第363号墓から発見された「論語鄭氏注」写本のように類例の少ないもの、1969年に135号墓から出土したソグド語の文書のように、この地域の経済状況を伝えるものなどきわめて多彩である。
(中野照男)
以上、転載
*辞典解説文より漢字ピックアップ
伏羲女媧
ふくぎじょか、ふっぎじょか
