磐渓洞遺跡 ばんけいどういせき
磐渓洞遺跡
ばんけいどういせき
Bangye-dong-yujeok
韓国・慶尚南道昌原市磐渓洞山55-4番地一帯の広い範囲に分布している。1996・97年2次にわたって昌原大学校博物館が発掘調査を行った。遺跡の性格は支石墓1基、鉄器時代住居跡1棟をはじめとし、中心年代が6世紀に当たる竪穴式石槨墓28基と、石室墳2基、甕棺墓5基以外に竪穴遺構86基、高床建物跡21棟、排水溝10基、井戸7基、廃棄場1ヵ所、水田、李朝(朝鮮)時代の瓦窯跡などが確認された。古墳は先行する竪穴遺構を破壊して造成されており、大部分は上部が流失している。古墳の長軸方向は、南〜北軸よりも東〜西軸が圧倒的に多い。石室墳の平面形態は長方形であるが、ほとんど床面だけが残存している状況で、正確な性格を把握することができない。竪穴式石室墳は平面形態が細長方形に属し、壁体の一部が残っている。
副葬品は土器がもっとも多く、そのほか鉄器類・装身具類などが出土している。土器の中で有蓋高坏と有蓋長頸壺の一部は、高霊・陜川地域のものと類似しており注目される。竪穴遺構は定型性を持った一般の住居跡とは、形態・構造上において違いがあるものの、生活遺構である可能性が高い。高床住居跡は2間×2間のものが多く、柱穴の底に方形の板石を敷いたものも見られる。遺跡の東側に位置している水田跡は、確認された23層の中で、7〜10層程度が水田層であり、6世紀に相当する。磐渓洞遺跡は住居空間・古墳・廃棄場・水田などで構成されており、6世紀の昌原地域における集落構造を知ることができる重要な遺跡である。
(朴廣春)
以上、転載
*mapは昌原市磐渓洞
