北京原人 ぺきんげんじん

北京原人
ぺきんげんじん
Beijingren

中国・北京の南西約40㎞の周口店で発見された、アジアを代表する原人化石群。1921年にスウェーデンの地質学者ズダンスキーによってこの遺跡の存在が明らかにされ、その後27年より、北京共和医学院のカナダ人解剖学者ダビットソン・ブラックによって本格的な発掘調査が開始された。同年に発見された下顎左第一大臼歯に対して、ブラックがSinanthropus Pekinensis と命名した。29年には裴文中によって1号頭蓋が発見され、以後、37年に日中戦争の激化によって中断されるまでに、40体以上(5個のほぼ完全な頭蓋冠、顔面骨6個を含む13個の頭蓋片、14個の下顎骨、147本の歯、それに少量の四肢骨)に上る化石が発見された。ブラックは34年に心臓病によって急死するが、調査・研究はワイデンライヒによって引き継がれ、詳細な研究報告と石膏模型が残された。しかし、本物の化石は41年の日米開戦の混乱の中で所在がわからなくなり、現在に至るまで行方不明のままである。戦後の49年から再調査が続けられているが、断片的な資料の追加にとどまっている。

化石の所属年代は、およそ50〜20万年前とされ、いずれも第一地点と呼ばれる洞穴の堆積から発見されたものである。石英などを原料とするチョッパーなど多数の石器が伴っており、また火の使用をうかがわせる厚い灰の堆積層も確認されている。脳容量は平均で1040cc(914〜1220cc)と推定され、ジャワ原人よりやや大きい。眼窩上隆起の発達が顕著で、眼窩後狭窄が強く、骨が非常に厚い。全体的に脳頭蓋の扁平性が目立ち、頭蓋最大幅の位置は乳様突起の直上に位置する。また、後頭隆起も強く突出する。下顎にはオトガイが見られず、下顎隆起が存在する。上顎中切歯はシャベル型で、基底結節が良く発達し、そこから先端に向けて隆線が走ることが多い。四肢骨の形状は現代人と大差ないが、緻密質が極めて厚く、長骨には扁平性が認められる。

(中橋孝博)

以上、転載