法泉里古墳群 ほうせんりこふんぐん

法泉里古墳群
ほうせんりこふんぐん
Beopcheon-ri-gobungun

韓国・江原道原州市富論面法泉里に位置する三国時代百済の古墳群。南漢江と蟾江の合流点に近く、京畿道・江原道・忠清北道の接する地域である。1973年に偶然に見つかった2基の古墳からの出土遺物を金元龍が紹介して、学界に広く知られるようになった。1999〜2001年まで、3次にわたって国立中央博物館が発掘した。無文土器(青銅器)時代や統一新羅時代の遺構も見つかっているが、大部分は原三国(三韓)時代・三国時代の土壙墓・甕棺墓・石室墳・横口式石槨墓である。土壙墓は、原三国時代から三国時代まで時期幅があり、少量の土器と刀子などの鉄器類が副葬された。甕棺墓からは、二次葬された成人人骨が発見され、当時の葬制を知る上での資料を提供した。石室墳には、玄室平面方形の横口式石室と、玄室平面長方形で羨道が入口から見て右側に片寄ってつく横穴式石室がある。

1号墳出土の青銅製鐎斗、2号墳出土の羊形青磁、4号墳出土の蓮華文青銅蓋は、三国時代百済漢城期の古墳の実年代を推定するための重要な資料である。1号墳出土の金製耳飾、1・4号墳出土の金銅製飾履、1号墳出土の馬具(木芯鉄板張輪鐙・轡など)は、百済における金・金銅製装身具や馬具の出現期の様相を示す。このほか1号墳からは鉄剣・鉄矛・鉄鏃などの武器類、4号墳からは漆器が出土した。各古墳から大量の釘・鎹が出土するのも特徴的である。横口式石槨墓からは、新羅系土器が出土した。法泉里古墳群を築造した勢力は、原三国時代から存続した原州地域の有力集団であると考えられる。この古墳群における中国製陶磁器や金・金銅装身具、馬具などの出現は、百済漢城期の百済中央勢力と地方勢力の関係の変化を考える上での重要な手がかりを提供している。

(吉井秀夫)

以上、転載

 

*辞典解説文より漢字ピックアップ

鐎斗
しょうと


かすがい

 

*mapは富論面法泉里