扶蘇山廃寺跡 ふそさんはいじあと

扶蘇山廃寺跡
ふそさんはいじあと
Busosan-pyesaji

韓国・忠清南道扶余郡扶余邑旧衙里の北方に位置する扶蘇山の西南麓中腹にある。「西腹寺跡」とも呼ぶ。1942年(昭和17)に藤澤一夫らが発掘調査を行い、その後、80年に文化財管理局文化財研究所・国立扶余博物館・忠南大学校博物館が共同で発掘調査を行った。伽藍配置は中門・塔・金堂が南北一直線に並ぶ一塔一金堂式であるが、講堂は検出されなかった。講堂跡に該当する部分は低い丘陵になっている。地形は北高南低、東高西低で寺跡の南・西は急激な傾斜をなすが、中門はこの南側の傾斜地にわたって検出された。出土遺物には、金銅製銙帯金具一式・金銅製風磬舌・壁画断片・塑造仏頭・塑造象頭瓦類・鴟尾・石製棟端飾板・瓦類などがあり、すべて三国時代百済に属するものである。金銅製銙帯金具一式は、木塔心礎石付近で出土したことから、地鎮あるいは鎮壇具と推定される。壁画断片は漆喰を塗った後、さらに赤色粘土と白土を重ね、赤色と黒色系統の顔料で鳥像を描いたもので、法隆寺や上淀廃寺などの壁画と比較する上で重要な資料である。講堂を持たない伽藍配置や官北里推定王宮跡に隣接していること、そして遺物の編年などから7世紀前半に創建された王室の祈願寺院と推定される。

(李タウン)

以上、転載