彩篋塚 さいきょうづか
彩篋塚
さいきょうづか
Chaehyeop-chong
北朝鮮・ピョンヤン特別市楽浪区城南寺里(旧・平安南道大同郡南串面南井里)に所在する。楽浪郡時代の木室墳で、1931・33年(昭和6・8)に朝鮮古蹟研究会により発掘調査された。「南井里116号墳」ともいう。墳丘は方台形(20×23m)を呈し、墳丘下に横口式木室を構築している。墳丘上部では、追葬の際に掘り込まれた壙壁の痕跡が確認されている。木室は前室(222×485㎝)と後室(452×335㎝)からなり、板扉を有する通路によって連結されている。前室側面には、騎馬図や人物図などの壁画が描かれている。後室内には内槨(425×292㎝)が設置されており、内槨の中に3棺が埋葬されていた。内槨北側および通路部には、追葬に伴う改変の痕跡が確認されている。前室北壁には横口部が設けられ、板扉が取りつけられていた。横口部から墳丘外へ断面V字形の墓道(幅1.3m,長さ10m)が伸びている。
1号棺には紗帽・漆革沓・装身具類・漆鞘鉄刀子などが副葬され、棺底には遺体搬入の木製尸架が置かれていたことから、被葬者は男性でこの墳墓の中心的人物と推定される。2号棺内には装身具類と五銖銭・貨泉が、3号棺内には装身具類が副葬されており、被葬者はいずれも女性と推定される。前室内には彩画漆篋をはじめとした多数の漆器類・馬車模型・銅鏡・土器類などが副葬され、後室壁画と内槨の間には、木馬や木製人形が置かれていた。前室出土の木札には「縑三匹 故吏朝鮮丞田肱謹遣吏再拝奉 祭」の墨書があり、被葬者が楽浪郡の高官であったことがわかる。築造時期はAD3世紀と推定される。
(高久健二)
以上、転載
