大成洞古墳群 たいせいどうこふんぐん
大成洞古墳群
たいせいどうこふんぐん
Daeseong-dong-gobungun
韓国・慶尚南道金海市大成洞に所在する原三国(弁韓)時代から三国時代にかけての古墳群。4世紀から5世紀前葉にかけての大型古墳は、金官加耶の首長墓と見られる。金海市中心部の小さな独立丘陵と、その周辺の平地に立地し、北には加耶の建国神話を持つ亀旨峰、東には伝首露王陵、西南には*金海貝塚(会峴里貝塚)・鳳凰台遺跡がある。慶星大学校博物館が1990年より発掘調査を行い、加耶史解明に寄与する多大な成果を挙げた。遺構には、木棺墓・木槨墓・竪穴式石室墓・横穴式石室墓・横口式石室墓・甕棺墓・土壙墓などがある。遺構の中心となるのは土壙木槨墓であり、そのうち29号墳は土器の多量副葬、陶質土器の出現、殉葬、金工品副葬で特徴づけられ、3世紀末とされる。この時期、北方系文化が金海地域に入ってきて、それ以前の先行墓制を破壊したとされている。
出土遺物で注目されているのは、外来系文物である。北方系文物としては、29号墳と4世紀後半の47号墳から出土した銅鍑や、5世紀前半の11号墳から出土した虎形帯鉤がある。倭系文物は4世紀前半の13・18号墳から多く出土している。13号墳から巴形銅器6点・鏃形石製品・滑石製巽形石製品・布留系軟質土器、18号墳から碧玉製管玉・翡翠製勾玉・紡錘車形石製品が出土した。*筒形銅器は5世紀前半の1号墳から8点出土したのを含めて計16点がある。筒形銅器は金海・釜山地域からだけ出土し、総計67点の多きを数え、そのため従来筒形銅器は倭製と考えられてきたことに疑義が生じている。そして、5世紀前葉には首長墓ないしは大型墳墓の築造が中断する。この時期、釜山*福泉洞古墳群に首長墓が形成され始めるので、金官加耶の主導権が福泉洞の方へ移動したことを示すとされる。また、金官加耶の主導権移動によって、朝鮮半島南部の住民が日本列島へ移住し、須恵器生産を開始したとされる。このような解釈に異論もあるが、加耶史の究明だけでなく、中国・北方民族・倭などとの対外交流を考えていく上で、きわめて重要な遺跡である。
(定森秀夫)
以上、転載
金海貝塚(会峴里貝塚)は こちら
筒形銅器は こちら
福泉洞古墳群は こちら
