銅鍑 どうふく

銅鍑
どうふく

漢代の銅鍑は、扁球形の胴部に幅広の鍔をめぐらせたもので、釜とも呼ばれる。竃の上で煮沸容器として使用され、しばしば甑とともに用いられたが、地域ごとに用途や器形が異なる。楽浪地域では石巌里9号墳などのような漢式銅鍑も存在するが、胴部がく字形に屈曲し、屈曲部に突帯のめぐる銅鍑が知られている。同様のものは長崎県上県町のクビル遺跡の箱式石棺墓(弥生時代後期)から銅矛などとともに出土しており、金海市良洞里318号墳(3世紀)では同様な形態の鉄鍑が出土している。また、ピョンヤン特別市東大院里許山や咸鏡南道金野郡所羅里土城では、深鉢形の胴部上部に半環状把手がつく銅鍑も出土している。一方、中国北部には口縁上部に二つの半環状把手がついたオルドス式銅鍑が分布する。同様のものは、ピョンヤン特別市貞梧洞1号墳など楽浪古墳でも出土例があり、韓国南部地域でも金海市の良洞里235号墳、大成洞29・47号墳など3〜4世紀代の木槨墓から出土している。

(高久健二)

以上、転載