道項里古墳群 どうこうりこふんぐん
道項里古墳群
どうこうりこふんぐん
Dohang-ri-gobungun
韓国・慶尚南道咸安郡伽耶邑道項里と、末山里一帯で南北に延びた丘陵上に高塚古墳群が分布しており、末山里古墳群と呼ばれることもある。1917年(大正6)の今西龍の発掘調査以来、部分的に10数回にわたって調査が行われた。咸安は文献上に見られる阿羅加耶の中心地であり、道項里古墳群はその当時の支配者の墳墓であると考えられる。古墳群は原三国(弁韓)時代から三国時代加耶にかけて、咸安が新羅に服属するまで継続的に築造されており、4〜5世紀に該当するものが多い。原三国時代の墳墓は小型木棺墓で、出土遺物は組合せ式牛角形把手付壺と巾着形壺が主に副葬されている。3〜4世紀の古墳は単槨式木槨墳で、床面に砂利を敷いているのが特徴である。副葬品では多量の鉄器類が出土し、土器の高坏にはラッパ状の長脚に火焔文透窓が配置されたものが多い。5世紀の古墳は竪穴式石槨墳が大部分を占めている。そのうち昌原文化財研究所が調査した53号墳は、長壁の4ヵ所に龕室が設置されており注目される。1917年に調査された34号墳にも龕室があり、関連があるものと考えられるが、竪穴系横口式石室墳という点で差異がある。6世紀の古墳としては竪穴式石槨墳とともに横穴式石室墳も見られる。横穴式石室墳は羨道が非常に短いのが特徴的である。そのほか馬甲塚からは高句麗古墳壁画に見られる馬甲の実物が出土している。
(朴廣春)
以上、転載
*mapは咸安市道項里
