銅鏡〔朝鮮〕 どうきょう

銅鏡〔朝鮮〕
どうきょう

化粧道具、ときには光線を反射する呪術用具として用いられ、普通は青銅鏡である。朝鮮半島では、BC3、4世紀ごろの無文土器(青銅器)時代に初めて出現した銅鏡は、多鈕鏡と呼ばれる。これは、鏡面が凹面をなすことが多い。鏡背には幾何学文様が見られ、また、一方に片寄って2、3個の鈕を持つ。多鈕鏡には粗文と細文があり、前者が古く後者が新しい。その起源は北方系青銅器文化に求められ、朝鮮のほか中国遼寧地方、ロシア沿海州、日本など東北アジアに広く分布する。つまり東北アジア地域の初期金属文化を特徴づける青銅器の一つであり、呪術性が強い。ついで、BC108年の漢による楽浪郡の設置以後、郡県の官人墓の副葬品のなかに化粧道具の一つとしての銅鏡がしばしば見られる。南部地方の慶尚北道慶州市朝陽洞で日光鏡などの前漢鏡や、慶尚南道金海市良洞里で方格規矩四神鏡のような、新あるいは後漢の銅鏡が出土する。いずれも楽浪郡から入手したと思われ、宝器性の強いものである。慶尚北道の漁隠洞では、小型の前漢鏡とともにその仿製品が伴出している。三国時代では、百済の武寧王陵で四神鏡や獣帯鏡など4面と、全羅南道の雁洞古墳で後漢の内行花文鏡1面が、また新羅の皇南大塚から方格規矩鳥文鏡など、わずかな出土例がある。新羅ではまた、皇龍寺跡の塔心礎の鎮壇具のなかにも方格規矩神獣鏡が含まれるが、古代の朝鮮では総じて銅鏡に対する愛好は少なかった。しかし、中世の高麗時代には、銅鏡が例外的に顕著な展開を見せ、高麗鏡と呼ばれる。

(西谷正)

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