東京城 とうけいじょう
東京城
とうけいじょう
Dongjingcheng Donggeonseong
中国・黒龍江省寧安市にある土城跡で、渤海の上京龍泉府跡に比定されている。土城跡は、1909年(明治42)の白鳥庫吉の踏査以来注目されてきたが、33・34年(昭和8・9)の東亜考古学会の発掘調査によって、その構造が一段と明確になった。さらに戦後、63・64年に中国と北朝鮮の考古(学)研究所の共同発掘に加えて、最近では黒龍江省文物考古研究所と吉林大学考古系によっても発掘調査が行われた。
まず、外城壁は土築で東壁3211m、西壁3333m、南壁4455m、北壁4502mの規模を持ち、東西に長く南北にやや短い平面形を示す。その北辺中央部で、内城壁の北に当たる部分が外側に突出している。そして、外城壁に囲まれた中央北辺部に東西約1060m、南北約1180mの内城が想定され、その中にさらに東西約620m、南北約720mの石築の城壁に囲まれた内内城がある。このような整然とした都城プランは、唐の長安城を連想させる。内城は皇城に相当し、官衙区域であるが、内内城は宮城に対応し、王宮部分といえる。内内城の東側には、池や築山を配した禁苑(庭園)跡がある。内城の南辺中央で、朱雀門に当たる門跡が発掘され、そこから外城南辺中央へ朱雀大路ともいうべき道路が走る。外城内には里坊を思わせる痕跡が残るが、発掘調査によって里坊壁が確認されている。内内城(王宮)跡では6ヵ所の宮殿跡や、その回廊跡が発掘され、そこから花文方塼・緑釉柱座・緑釉の各種屋根瓦・石彫の獅子頭などが出土した。特に、第5宮殿跡から出土した和銅開珎は、日本と渤海との交流を物語る資料として注目される。また、外城の中央南門近くには、大路を隔てて相対する2ヵ所の寺院跡がある。そのうち東側の興隆寺跡には、高さ6mに近い玄武岩製の石燈籠が遺存し、往時の壮大な仏教寺院の姿をしのばせる。これら2ヵ所の寺院跡の北方でも2ヵ所の小寺院跡が発掘された。これらの寺院跡からは、塑像仏・壁画断片・小塼なども出土している。
(西谷正)
以上、転載
