感恩寺跡 かんおんじあと

感恩寺跡
かんおんじあと
Gameunsa-ji

韓国・慶尚北道慶州市陽北面龍堂里に所在する、統一新羅時代の寺院跡。1959・79・80年に国立中央博物館・国立慶州文化財研究所によって発掘調査され、現在はきれいに整備されている。東海(日本海)から約800mの距離で、海を臨ことができる。西から東へ延びた尾根の南西側山麓部(平地部との比高差約5m)に築かれている。『三国遺事』巻2、万波息笛条の分注に引かれた「寺中記」には「文武王が倭兵を鎮めようとしてこの寺を造り始めたが、完成しないうちに文武王はなくなり、その子の神文王が同王2年(682)に完成した」とある。

遺構はかなりよく残っており、統一新羅時代初期の双塔式伽藍配置であることが確認されている。中門(3間×2間)を入ると、左右前面に三重石塔があり、その後方中央に金堂(5間×3間)、さらにその後方に講堂(8間×4間)がある。回廊は中門の左右から延び、金堂左右に取り付く(翼廊)とともに、後方の講堂左右の僧坊?(7間×3間)まで延びる。回廊に囲まれた範囲は東西76.0m、南北74.0mである。塔の高さは、鉄製の刹柱まで合わせると約13mである。両塔とも立派な舎利荘厳具が出土している。金堂は基壇内部に空間が作られた特異な構造で、「寺中記」に記された「文武王が龍になって寺に入る」という記事と関わるものと考えられている。遺物は、統一新羅時代初期からの瓦類・土器類のほか、有名な塔の舎利荘厳具、9世紀代のものと推測されている金銅製釈迦如来立像、至正11年(1351)銘入の青銅製飯子(金鼓)などが出土している。

(亀田修一)

以上、転載