巨済島〔遺跡〕 きょさいとう

巨済島〔遺跡〕
きょさいとう
Geojedo

韓国・慶尚南道巨済郡に属する。朝鮮半島南部東南海岸地域に、本土に当たる西側の統営郡との距離数100mをはさんで位置する。東西約26㎞、南北約37㎞、面積は約396㎢を測る。巨済島の歴史は、櫛目文土器(新石器)時代に始まるが、遺跡として顕著なものは、無文土器(青銅器)時代の支石墓において認められる。支石墓は、これまでにおよそ6ヵ所36基が確認されている。いずれも碁盤型(南方式)である。巨済島は、原三国(三韓)時代には『魏志』韓伝に見える瀆盧国の所在地に比定されるが、明確な遺跡は見つかっていない。三国時代に関しては、鵞州洞古墳に見られるように、6世紀中ごろから7世紀初めにかけての新羅の横口式石室墳などの古墳群が知られる。統一新羅時代では、石仏が遺存するものの寺院跡は不明である。高麗時代の官衙遺構が発掘調査された巨林里遺跡からは、「裳四里」銘平瓦が出土したことにより、新羅時代の裳郡がここに当たることを示すものとして注目される。高麗時代から烏壌駅として使用されてきた烏壌城は、李朝(朝鮮)時代に石城として改築されたが、駅とともに関防の機能を合わせ持つようになった。そのほか、李朝時代に巨済郡治所として築かれた沙等城、その後に郡治所ともなった古県城、さらには倭城などの城跡が数多く認められる。

(西谷正)

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