固城〔遺跡〕 こじょう
固城〔遺跡〕
こじょう
Goseong
韓国・慶尚南道固城郡。朝鮮半島東南部の南岸地域に当たる、先史時代以来の遺跡の密集地。この地域が文献史料に登場するのは、原三国(弁韓)時代に入ってからのことである。『魏志』の韓伝に見える弁辰古資弥凍(こしびとう)国がここに当てられる。この時代の遺跡としてよく知られるのが固城東外里貝塚であり、古資弥凍国の拠点集落であったと考えられる。三国時代に入ると、加耶諸国の中の小加耶国の所在地となる。『三国遺事』に収録されている『駕洛国記』によると、5伽耶の一つとして小伽耶の名が見える。『三国遺事』には古自国、『三国史記』にはもと古自郡とも記す。一方『日本書紀』欽明天皇23年(562)の条に見える古嵯国(こさのくに)はここを指す。そのころの遺跡には、固城盆地に盟主的な位置で築造された松鶴洞古墳群をはじめとして、周辺の栗垈里・校社里・松渓里・武良里・陽村里・内山里・巨山里で古墳群が認められる。『三国史記』によると、統一新羅時代の8世紀中ごろの景徳王代に固城郡と改名され、現在に至っている。統一新羅時代以後の遺跡は、ほとんど発掘調査されていない。
(西谷正)
以上、転載
*マップは慶尚南道固城郡の範囲
