宮南池 きゅうなんち
宮南池
きゅうなんち
Gungnam-ji
韓国・忠清南道扶余郡扶余邑東南里にある。『三国史記』では、三国時代百済の武王35年(634)に王宮の南側に池を掘り、同王39年(638)には王妃とともに大きな池の中に舟を浮かべたと記す。以前はマレバンジュク(マレ堤)と呼ばれたが、扶蘇山南麓の官北里推定王宮跡から南へ約2㎞離れたこの遺跡が上の文献に記された池に比定され、宮南池と呼ばれるようになった。1990〜93年にも小規模な調査は行われたが、本格的な発掘調査は国立扶余文化財研究所によって95年から5次にわたって行われた。池の内外から水路・木造貯水槽の遺構と、瓦類・土器類・硯片・漆器片・鉄鏃・木簡・草鞋・動物の骨などの遺物が出土した。その中で注目されるのは木簡である。大きさは長さ35㎝、幅4.5㎝、厚さ1.0㎝で、一部の文字は判読できないものの、表に33文字、裏に5文字が墨書で書かれているのが確認された。その内容は「西部後巷」「西部」「中部」など、朝鮮半島のみならず日本や中国の文献にも記された百済の五部制度を裏づけるものである。この木簡の材料は朝鮮産のマツであるが、そのほか日本産のスギで製作された木簡も出土した。
(李タウン)
以上、転載
