肥前広東碗 ひぜんかんとんわん
肥前広東碗
ひぜんかんとんわん
肥前広東碗は高台が高く、胴部が直線的に開く蓋付きの磁器碗で、肥前陶磁器編年Ⅴ期(1780〜1860年代)に位置づけられる。広東碗独特の器形は、18世紀代の清朝磁器の影響を受けたものといわれている。主な用途は日常の飯茶碗と考えられ、18世紀末葉以降の消費地遺跡では数多く出土する。広東碗を焼成した窯としては、佐賀県有田町の小樽2号新窯、年木谷1号窯、同2号窯、窯の谷窯、西有田町の広瀬向2号窯、嬉野町の吉田2号窯、波佐見町の中尾上登窯、皿山本窯、多久市の大山新窯などがある。このうち、広瀬向2号窯の物原では層位的に器形の変遷を確認することができ、上層になるにつれて高台部が小型化する傾向がある。外面の染付文様は、植物文・吉祥文・動物・昆虫文・風景文・幾何学文などがある。線描きだけで濃みを使わない素書きがしばしば見られ、これも清朝磁器の影響といわれている。
肥前広東碗の暦年代を示す資料としては、文化8年(1811)に再興された小樽2号新窯では、最下層の3層と2層から広東碗が出土しており、1・2層からは文政7年(1827)染付銘の皿が出土している。また、消費地の東京都港区旧芝離宮庭園(小田原藩大久保家屋敷)の天明2年(1782)に埋め立てられた堀から出土した広東碗は初期のものと考えられている。伝世品の紀年銘資料では、文化12年(1815)銘の箱入り資料で染付龍宝珠文蓋付広東碗がある。
(森本伊知郎)
以上、転載
