皇吾洞37号墳 こうごどう37ごうふん
皇吾洞37号墳
こうごどう37ごうふん
Hwango-dong-37(samsipchil)ho-bun
韓国・慶尚北道慶州市皇吾洞に所在する三国時代新羅の古墳。文化財管理局の慶州市都市計画に従った古墳整理事業の一環として1967年に北槨、75年に南槨が慶北大学校博物館によって発掘調査された。墳丘の南側は削平され民家が建っていたが、北側は比較的原形を保持していた。南槨・北槨ともに長軸を東西方向にとる。北槨は墳頂より約3m下で積石が現れ、その約1m下に東枕にして遺骸が埋葬されていた。被葬者の埋葬部位からは金製耳飾・金製勾玉付冠飾各1対、青色瑠璃製頸飾1連、冠帽を装飾していたと見られる多数の3色の小玉が発見された。また東側には多量の土器と、各1個の鉄釜および銅製鐎斗を収めた副葬品収蔵部があり、西端にはコの字形に鉄鋌が置かれており、その一隅には土器が置かれていた。南槨の規模は東西3.5m、南北1.5mで、金製耳飾・ガラス製頸飾・鉄釜・鉄製椀・青銅鐎斗・鉄鏃・大刀、多量の新羅土器が出土した。出土遺物から見て南槨が男性、北槨が女性を被葬者としていると考えられる。時期は5世紀後半ごろであろう。
(藤井和夫)
以上、転載
*辞典解説文より漢字ピックアップ
鐎
ショウ
意味:「鐎斗」は行軍に用いた炊飯用鍋。三足で柄がつく。
*mapは皇南洞のエリア
