皇龍寺跡 こうりゅうじあと
皇龍寺跡
こうりゅうじあと
Hwangyongsa-ji
韓国・慶尚北道慶州市九黄洞にあって、新羅の故都・慶州盆地の南東寄りの所に位置する寺院跡。『三国史記』新羅本紀によると、三国時代新羅の真興王14年(553)に着手されて以来、善徳王13年(644)に塔が完成されるまで、90年の歳月をかけて建立されたと伝える。その後、高麗時代の高宗25年(1238)に蒙古の侵入に際し焼失するまで、685年間にわたって法灯が守られた。その間、数回の落雷があり、また修築を繰り返している。1976年以来83年まで、国立文化財研究所によって、本格的な大規模発掘調査が行われ、伽藍配置の変遷が明らかになり、また2万点を超える大量の各種遺物が出土した。創建伽藍は一塔一金堂式(四天王寺式)であったが、統一新羅時代に入って、一塔三金堂式伽藍へと変遷している。この伽藍配置は、高句麗の清岩洞廃寺跡や奈良県の飛鳥寺跡で知られるが、新羅では初めてのことである。1964年に塔心礎の孔で、塔誌を双鉤体で陰刻した舎利函が検出されていたが、78年の塔心礎下部の発掘に際し、白磁壺・銅鏡・垂飾品・玉類などの鎮壇具が出土した。ここには九重の木塔が立っていたが、金堂には丈六仏が安置されるなど、新羅で最大規模を誇る国家的な鎮護国家の仏教寺院であった。
(西谷正)
以上、転載
