井戸茶碗 いどぢゃわん
井戸茶碗
いどぢゃわん
16世紀以後に渡来した高麗茶碗の中で、もっとも尊ばれた茶碗である。一井戸・二楽・三唐津と称され、茶碗の王者ともてはやされた。①形は作為の少ない碗なりで、②胴から腰にかけて、太い轆轤目が現れている。③高台は大きく堂々としていて竹節高台となり、④底には兜巾が見られる。⑤枇杷色の釉が厚く掛かり、内外に貫入がある。⑥高台脇にはカイラギが現れている。⑦見込みには重ね焼きの目跡が残っている。以上は井戸の約束であり、また見所ともなっている。
井戸茶碗はその作行きによって大井戸・小井戸・青井戸・小貫入の四種に分けられている。大井戸はほかのものに比べて大振りで、見込みが深いところから付けられた名である。数が少なくほとんどが名物となっているので、「名物手」とも呼ばれる。喜左右衛門・筒井筒・有楽・細川などがある。青井戸は釉色が青みを帯びていることから付けられたという。しかし、青井戸と呼ばれているものを総じて見ると、釉色よりはむしろ低い高台から口縁に向かって、浅く開いた形に特徴があると思われる。この名称は江戸時代の末期頃から使われた比較的新しいものという。柴田井戸・宝樹庵・山の井などがある。小井戸はまた古井戸ともいう。大井戸より一周り小振りなものである。元禄年間よりこの名称が現れた。老僧・忘水・大子屋などがある。小貫入は大きくは小井戸の範疇に入るが、さらに小振りで口辺が開き背の低いものが多い。器一面に細かい貫入が入っている。釉のビワ色やカイラギなどは揃っている。雄蔵山などがある。
井戸茶碗は、すでに桃山時代から天下一の茶碗と高い評価を受けていた。天正6年10月25日の藪内宗和の会に初見して以来20年までの間に、27回も茶会記に名を残している。また、当時の井戸茶碗の所持者としては豊臣秀吉・千利休・津田宗及などが知られている。井戸茶碗は大変尊重されたものであったため、400年を経て今日に至るまでに様々の歴史・伝来・伝説をまとっているものが多く、その点からも興味深いところがある。
(森本朝子)
以上、転載
