林堂古墳群 りんどうこふんぐん
林堂古墳群
りんどうこふんぐん
Imdang-gobungun
韓国・慶尚北道慶山市林堂洞と造永洞・押梁面夫迪里にかけて所在する三国時代加耶の古墳群で、慶尚地域を代表する最大の古墳群である。古墳群が立地する場所は、南側の山地から連なる低い押梁丘陵の北側末端部に当たる。古墳群に対する調査は、嶺南大学校博物館が3次にわたる発掘を実施し、その後、嶺南埋蔵文化財研究院と韓国文化財保護財団によって全面的な発掘調査が行われた。嶺南大学校博物館により347基、嶺南埋蔵文化財研究院と韓国文化財保護財団によって約1200基の古墳がそれぞれ調査された。埋葬施設は木棺墓・木槨墓・竪穴式石室墓・甕棺墓・横口式石室墓・横穴式石室墓など多様な墓制が確認されており、長期間にわたって古墳が築造されたことがわかる。
報告者によると、木棺墓期・木槨墓期・大型封土墳期・石室墳期に区分されているが、木槨墓期と大型封土墳期の埋葬施設は、ともに木槨墓であることから墓制による適切な分類とはいえない。墓制による分類が困難な理由は、林堂古墳群が主に岩盤を掘り込んで埋葬施設を構築しているからである。林堂古墳群の木棺墓期はおおよそBC2世紀からAD2世紀に相当する。木棺墓期は主に丘陵稜線の下端部に分布している。墓壙を掘って木棺を安置した後、その間に充填土を入れたものがほとんどである。木棺は刳貫式と組合せ式などがあり、木棺の下部を一部掘って副葬施設(腰坑状)を備えたものもある。木槨墓期の木槨墓は墳丘が不明確で半地下式である。墓壙と木槨の間に充填土を入れており、木蓋をしたものが大部分である。大型の場合は6m以上になるものもあり、殉葬の痕跡も認められる。築造の中心年代はAD3〜4世紀である。封土墳期は、岩盤を掘鑿して木槨墓を設置したもので地下式である。長方形の主槨上方に方形の副槨が付設された平面「昌」字形が大部分で、一部に「明」字形も認められる。主槨の天井は扁平な花崗岩を並べて蓋をしている。墳丘裾部には護石を設置しており、一つの墳丘に2基あるいはそれ以上の複数の槨を設置する多槨式のものが多い。築造の中心年代は5〜6世紀である。石室墳期には横穴式と横口式が流行し、築造方法は他の地域のものと類似している。中心年代は6〜7世紀である。
(朴廣春)
以上、転載
*辞典解説文より漢字ピックアップ
鑿
サク、うが(つ)、のみ
