怡土城跡 いとじょうあと

怡土城跡
いとじょうあと

福岡県前原市高祖・大門・高来寺に所在する高祖山(標高416m)の西斜面に築かれた古代山城。756年(天平勝宝8)から12年を要して完成した。築城専当官は当初、吉備真備であったが、中途から佐伯今毛人に交代した。新羅征討計画の出兵基地として建設されたと考えられている。1936年(昭和11)鏡山猛により調査が行われ、城跡の全容がほぼ明らかとなった。78年(昭和53)には第5望楼が発掘調査されている。城域は周長6㎞であるが、東側は稜線をそのまま利用し、西裾の平地に南北2㎞にわたる土塁線を築く。選地プランは城内にかなり平坦地を取り込み、朝鮮式山城とは明らかに異なった大陸式山城として捉えられている。高祖山北西尾根線上に3ヵ所、西側土塁上に1ヵ所の望楼を配し、4ヵ所に水門、5ヵ所に城門を設ける。望楼・城門には礎石が遺存し、瓦や土器・塼・下駄などの遺物が採集されている。

(向井一雄)

以上、転載

 

国宝の鏡が一室を埋め尽くす伊都国歴史博物館。
その前庭に立つと、
南に霊山・背振山系(山を越えると吉野ケ里)。
東に怡土城跡。

現在の糸島市と福岡市の境界の山は、意味ある位置にあります。

怡土城の稜線には遠目にも5つの望楼。
あそこに防人が常駐して、
いつ敵軍が攻めてくるかと海を見つめていたのか…。

学芸員さんが解説くださる怡土城歩きに参加した時のこと。

道端にゴロゴロ転がる石や瓦礫から、
あ、と一つ拾い上げ、
「あー、これは奈良時代のですねえ」とつぶやき、
ぽいっと元に戻して何事もなかったように前進。

吉備真備の土木工事だとか、
普通に転がっている瓦が奈良時代のものだとか、
初心者には衝撃で、
人生のスイッチを押された一場面だったといっても過言ではありません。