亭岩里瓦窯跡 ていがんりがようあと
亭岩里瓦窯跡
ていがんりがようあと
Jeongam-ri-wayoji
韓国・忠清南道扶余郡場岩面亭岩里の白馬江の岸に位置する。扶余邑の中心部から約4km離れたこの窯跡は粘土や水・燃料などを確保しやすく、現在の百済橋ができる以前は、亭岩里から扶余中心部へ行くのに川を渡って軍守里と東南里を通る生産品の運搬に適した場所に立地していた。亭岩里窯跡はA・B・C・D地区からなる大窯跡群である。国立扶余博物館が1988年から3次にわたってA地区2基、B地区9基の三国時代百済の窯跡を発掘調査した。B地区1号窯跡は平窯である。2号窯跡は細部調査まで行われなかったので明らかになっていない。B地区1・2・3・5・6号窯跡は平窯で、4・7・8・9号は登窯である。さらに、登窯は無階段式(9号)と階段式(7・8号)に分けられる。登窯は煙道が一つであるのに対して、平窯は二つ(A地区1号)、もしくは三つ(B地区1・2・3・5・6号)である。窯の大きさは全長約4.85〜5.9m、幅約1.72〜2.25mと小型である。以上のように、各窯の形態は多少異なっているが、B地区の平窯はA地区の平窯の発展した構造を持ち、B地区においては登窯のほうが平窯より古いことが明らかになった。出土した軒丸瓦は3種類に限られている。
亭岩里瓦窯では、6世紀中頃〜7世紀前半に瓦が生産され、軍守里寺跡・東南里遺跡をはじめとする複数の遺跡に瓦を供給した。また主な生産品は瓦であるが、そのほかに土器を生産した瓦陶兼業窯がある。この窯跡で生産された瓦が、扶余つまり当時の泗沘都城内の最も近接した寺院に供給されていたということからも、生産・交通・運搬距離まで考慮して築かれた最適地の窯跡であったことを示す。そのほか高麗時代・李朝(朝鮮)時代の窯跡も検出された。
(李タウン)
以上、転載
*mapは場岩面。
場岩面北部の白馬江に面したエリアが亭岩里
