苧浦里古墳群 ちょほりこふんぐん
苧浦里古墳群
ちょほりこふんぐん
Jeopo-ri-gobungun
韓国・慶尚南道陜川郡鳳山面苧浦里一帯の黄江を見下ろす丘陵上に所在する。1984・85年に実施された陜川ダム水没地区遺跡地表調査で大規模な古墳群が発見され、86年から五つの地区に分け、五つの大学博物館が発掘調査を行った。3本伸びる丘陵のうち、A地区の東側丘陵には主として木槨(棺)墓が分布し、B地区と命名された中間の短い丘陵にも、A地区と同じく木槨(棺)墓が主に分布している。C・D地区の西側丘陵の南側には石室墓と住居跡が、北側には石槨墓と石室墓・建物跡が分布し、C・D地区と谷を挟んで反対側にあるE地区では、石槨墓・石室墓・住居跡が分布していた。A・B地区の木槨(棺)墓は、3〜4世紀に築造されたものが大部分であり、その他に甕棺墓・住居跡も確認されている。木槨(棺)墓は中・小型の単槨式で、平面形態は隅丸長方形である。遺物としては土器類・鉄器類・玉類などが出土した。住居跡は長方形で、中央の東壁近くに炉跡が見られる。時期については出土遺物が撹乱され、正確なことはわからないが、三国時代加耶に属することは間違いないであろう。
C・D・E地区の古墳は、竪穴式石槨墳・竪穴系横口式石室墳・横穴式石室墳・甕棺墓など多様な墓制が確認されており、6〜7世紀が中心年代である。古墳のほかに少数ではあるが、無文土器(青銅器)時代の住居跡・支石墓、李朝(朝鮮)時代の民墓なども存在する。この地区の古墳の特徴は大型墳の場合、護石をめぐらせ、埋葬施設は墳丘中央に竪穴系横口式石室墳、あるいは横穴式石室墳を設置したものが大部分である。竪穴系石槨墳は、単独で築造される場合も多いものの、竪穴系横口式石室墳、あるいは横穴式石室墳と、同一墳丘内に築造される場合には、それらの主体部周辺に配置される陪葬墓的性格を備えている。竪穴系横口式石室墳は、平面形態が長方形もしくは細長方形で、短壁上部を横口部として構築している。横穴式石室墳は平面が方形に近く、羨道は短い片袖式が多い。床面は追葬によって数次にわたり改築されていた。苧浦里古墳群は、多羅国の支配者の古墳群ではないものの、3世紀以降の中間層の古墳文化を理解できるだけでなく、多羅国の新羅への服属過程における文化変遷を把握する上で重要な古墳群である。
(朴廣春)
以上、転載
*mapは陜川郡
