交河城 こうがじょう

交河城
こうがじょう
Jiaohe-cheng

中国・新疆ウィグル自治区トルファン市の西方10㎞にある都市遺跡。天山から流れ出す川が交わる場所に位置するため、交河城と名づけられたと『漢書』西域伝に記すとおりの地形に現在も立地している。台地は川に削られて独立した軍艦形になり、崖の高さは30mにも達して天然の要塞となっている。台地の南北長さ1700m、東西幅300mで、面積は50万㎡である。台地の地山を掘り抜いて地下寺院や石窟・建物・トンネル・道路を造り、その上に日干し煉瓦の建物を築いている。BC2世紀以前から軍師前国の王都として栄え、南北朝時代には河西政権の支配下に入り、のちに麹氏高昌国の副都となった。唐の時代には一時「安西都護府」が置かれたが、元の時代以後には使われなくなり廃墟となった。東に居住区、中央に官衙、西に仏寺・埋葬跡がある。遺跡には瓦や塼・土器片が散乱し、往時の面影を偲ぶことができる。

(岡内三眞)

以上、転載