池山洞古墳群 ちさんどうこふんぐん

池山洞古墳群
ちさんどうこふんぐん
Jisan-dong-gobungun

韓国・慶尚北道高霊郡高霊邑西部に所在する三国時代加耶の古墳群。主山の峰から南側へのびる主稜線上に、直径20mを越える高塚古墳が、またその東南側斜面にそれよりも規模の小さな古墳が分布している。このような古墳の立地は加耶古墳に典型的なもので、規模の面から大

加耶の最高支配者集団の墳墓と考えられる。1918年に日本人によって最初の発掘調査が行われ、77年に毀損の激しかった大型墳の44号墳と45号墳に対する発掘調査に続き、78年に行われた中型墳に属する32〜35号墳の発掘調査によって、池山洞古墳群の性格がある程度究明された。

直径25〜27mの44号墳は、墳丘中央に主被葬者の埋葬施設である長さ9.4m、幅1.75mの細長い大型竪穴式石室をまず築造した後に、同一方向あるいは直交する方向に、長さ5.1〜5.7m、幅1.3〜1.7mの竪穴式石室を配し、その周辺に小型石室をめぐらしていた。小型石室は全部で32基確認され、円形の護石内に配置されている。45号墳も中央に主被葬者の埋葬施設である大型竪穴式石室を築造した後、それと平行に小型の竪穴式石室を配置し、さらに周囲に11基の小型石室をめぐらしている。小型石室は大部分が南側に配置されていて、古墳裾部には円形の護石列がある。副葬品には土器が多く、装身具と武器類などは盗掘を受けて一部が残るのみであった。32〜35号墳は直径10〜15m程度で、墳丘中央に単独で竪穴式石室の主埋葬施設が設けられる場合と、それよりも小さな竪穴式石室とともに、数基の小型石室が配置される場合とがある。小型石室には板石を立てて造られた石棺形もあり、割石と板石を混用して造られたものもある。32号墳からは多様な土器類とともに、光背形金銅冠・横長板短甲・衝角付冑などが発見されて注目される。その他の古墳から出土した遺物は、大加耶の支配集団の墳墓とするにはやや不十分な印象を受ける。築造の中心年代は5〜6世紀前半と推定される。

(朴廣春)