竈 かまど
竈
かまど
火の周囲を覆う形式の炊飯施設。前面に焚口、上面に甕や釜を掛ける掛け口を持つ。火の周囲が解放された形式は炉とされる。竈には住居に造り付けられる造り付け竈と、土器として形作られる移動式竈(竈形土器)がある。土器であっても日本の近世の事例のように底部を有するものは焜炉として区別される。
中国では仰韶文化に焜炉が存在し、龍山文化になってその底部が省略された移動式竈が出現する。造り付け竈は龍山文化に見られるが、炉との関係などいまだ不明な点が多く、具体的に分析できるのは、それが明器に表現される秦・漢時代以降になってからである。朝鮮半島北部地域では初期鉄器文化に石組みの煙道を持つ造り付け竈が出現する。これは住居壁に沿って煙道が伸びるL字形竈へと発展する。朝鮮半島南部地域では、原三国(三韓)時代以降に造り付け竈が普及するが、その構築は主に粘土によって行われる。煙道もごく短く、北部地域のものとはその形態が異なっている。また南部地域内においても、慶尚道・全羅道地域の竈は京畿道地域のものに比べて小さいという相違が存在する。
日本列島に造り付け竈が普及するのは、5世紀以降のことである。出現期の西日本の竈は、慶尚道・全羅道地域のものに類似している。ただしこの段階では、東北地方北部地域から北海道、および九州本島南部地域から琉球列島に竈は伝播しない。これらの地域に竈が普及するのは、東北地方北部地域以北では擦文時代、琉球列島ではようやく近世になってからである。6世紀までの移動式竈の分布はほぼ西日本に限られ、それが東日本に広がるのは平安時代以降のことである。東日本では12〜13世紀に囲炉裏が主要な炊飯施設となるが、ここに民俗学でいう「東の囲炉裏、西の竈」の起源を見ることができる。
(杉井健)
以上、転載
