冠帽 かんぼう
冠帽
かんぼう
5世紀末から6世紀にかけて、冠帽は朝鮮半島では冠位制度と関連し、諸国で独自の発達を遂げる。加耶地域では国ごとに独自の冠を持っていた。大加耶系の冠は福井県二本松山古墳、佐賀県島田塚・関行丸古墳、滋賀県鴨稲荷山古墳で出土し、その背景に加耶系渡来集団の存在を想起させる。熊本県江田船山古墳の帽は韓国・羅州新村里9号墳のものに形が似る。新羅の冠帽は、天馬塚例のように透かし彫りの金銀製品とシラカバ樹皮製の帽が普通である。山字形冠は新羅王権の象徴で、慶州を中心に5世紀中葉から6世紀中葉ころに見られる。金冠は三山式から四山式に変遷。翡翠製勾玉装飾が金冠に多い。翡翠の産地は蛍光X線分析の結果、日本の姫川産とされる。山字形冠の祖形については樹木・扶桑樹・生命樹・鹿角などの諸説がある。ただし、金冠・金銅冠のうち初期の例では鹿角状装飾は見られない。高句麗で出現した鳥翼形冠帽は新羅・加耶に伝播する。奈良県新沢126号墳例(船載)や、富山県桜谷古墳群例(倭製)などの歩揺付き方形板冠帽飾金具は、慕容鮮卑の歩揺冠飾に源流がある。
(橋本博文)
以上、転載
