勝連城跡 かつれんじょうあと

勝連城跡
かつれんじょうあと

沖縄県うるま市勝連町字南風原に所在する城跡。半島部の付け根に近い独立丘的な台地と、それに隣接する石灰岩台地の先端部を取り込んで築かれている。城郭は梯郭式で、東南から北西にかけて東の曲輪を配し、この東の曲輪と三の曲輪の間には谷間のような窪地をはさみ、そこに四の曲輪を設ける。この四の曲輪の北と南にそれぞれ西原御門、南風原御門と呼ぶ石造拱門を開けて城外へと通じた。また、城内三の曲輪には東に向かって四脚門を開け、一段上がった二の曲輪には殿舎建物が建っていた。一の曲輪は城の最高所にあり、ここでは瓦葺建物の存在が発掘調査で確認されている。城の創建についてははっきりしないが、近年行われた発掘調査で、最古の遺構は13世紀頃で、海外貿易の拠点として栄えていたことがわかった。最後の城主阿麻和利は、1458年宿敵であった中城護佐丸を計略でもって滅ぼしたが、その直後、中山王尚泰久の追手によって滅ぼされた。

當眞嗣一)

以上、転載